創業期
年度 | 社歴 | 外部環境 | |
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1962年 | 関西ヂーゼル工業を創業 | 神戸市長田区で創業 | |
1972年 | 三晃自機(株)を設立 資本金 300万 社員数6名 |
沖縄返還 日中国交回復 乗用車輸入関税引き下げ |
自動車機器部門を分社 |
1975年 | 社員2名入社 社員数7名 |
51年度排出ガス規制 ベトナム戦争終結 |
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1979年 | 資本金 500万に増資 社員数9名 | 第二次石油ショック 東京サミット開催 |
成長期
年度 | 社歴 | 外部環境 | |
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1980年 | 岡山工場を開設 社員数10名 |
アメリカでの日本車シェア22% | アルミの溶解を始める メーカー依存からの脱却 |
1982年 | ナブコ(株)とSS店契約を結ぶ 井上政入社 社員数11名 |
ディーゼル乗用車排気ガス規制施行 | メーカー1社から数社へ多角化 岡山工場コンプレッサーのリビルトを始める |
1983年 | (株)三晃自機に社名を変更 | ディーゼルトラック排気ガス規制強化 | |
1985年 | (株)三晃に社名を変更 | 対米乗用車輸出自主規制の強化 | |
1986年 | コンプレッサーリビルトの輸出始める アメリカへ |
EC向け乗用車輸出の自粛 | コンプレッサーリビルト軌道にのる |
1988年 | アメリカへの輸出をやめる | 米国ホンダ本格的逆輸入 | 国内販売へシフト |
1989年 | 資本金 2000万に増資 | 消費税スタート |
激動期
年度 | 社歴 | 外部環境 | |
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1991年 | 光洋精工(株)と直轄工場契約を結ぶ 三菱自工向けパワーステアリングの修理と機械加工をはじめる 社員数12名 |
湾岸戦争 フロンガス規制 |
機械加工の設備をする 技術力の強化 |
1992年 | 工場の増設 | バブル崩壊 | 第2期、機械加工の設備 |
1994年 | 高卒者採用を始める 社員数14名 |
1ドル百円時代へ | 機械加工の需要がへる |
1995年 | 震災による本社の倒壊 |
阪神大震災 | 本社の設備を岡山工場へ移転 |
1996年 | 機械加工の撤退 | 公定歩合0.5% | 機械設備の売却 |
第二創業期
年度 | 社歴 | 外部環境 | |
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1997年 | 岡山工場の改築 | 消費税5% | 本業の修理(リサイクル)業へ |
1999年 | 理念と方針の作成 | ||
2001年 | 西神戸(営)の開設 7月より 社員数19名 |
アメリカ同時多発テロ | 販売力強化の為 |
2004年 | 西神戸(営)の閉鎖 6月 | テリトリーの問題がありメーカーより指導 | |
2005年 | 外国人研修生の受け入れ 関西ヂーゼル工業本社の完成 |
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2006年 | 社長交代 井上政一良就任(10月) 本社の移転 東灘~ポートアイランド |
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2007年 | バイオディーゼルの精製を始める 11月より |
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2009年 | 工作所、アルミの熔解始める | 民主党が政権を取る。鳩山内閣 | |
2010年 | 夏、暑くコンプレッサー最高の販売 | ||
2011年 | 3.11 東北・関東大震災 | ||
2012年 | ロンドンオリンピック 自民党、与党返り咲き |
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2014年 | STAP細胞 笑っていいとも終わる |
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2015年 | オリンピック、エンブレムの盗作 | ||
2022年 |
社長交代 井上 将司就任(2月18日) 三晃株式会社に社名を変更 |
新型コロナウイルス感染症(COVID-19) パンデミック 3年目 |